text:ホームページ作り

ホームページ作りについて。(20220912:全体追記して公開)

スタート

このホームページ(ウェブサイト)は1998年7月3日に開設して以来、url(アドレス)を変えたりしながら、無くさずに続けてきた。

1996年頃から徐々に、windowsで動くミニゲームを作っていた僕は、1998年から、当時使っていたパソコン通信からインターネットに接続できるサービスを利用し始めた。ニフティがメールアドレスとホームページスペースを標準で提供し始めたので、自作ゲームをダウンロードできる展示場としてホームページを作った。

最初の3年間ほどは、月間10回の更新を目安にしていた。当初はゲーム、イラスト、日記、掲示板、リンクというような内容だった。学校の友達2、3人と感想を言い合ったり新技術を共有し合ったりする趣味でもあった。フォントや音楽が作れるようになってからはその配布をし始めた。高校卒業後は月間10回の更新は難しくなり、代わりに漫画の自主連載などを始めるようになった。

自分にとって

ホームページ開設は自分の「やっていくこと(時間や気持ちの使途)」の可能性が広がった大きな転換点で、今もそこから大きな変化はなく生きてきていると思う。ただ友達と盛り上がっていただけの状態から一気に、世間に公開して、感想が届いたり雑誌掲載の依頼が来たり、本物の漫画家とやり取りが始まったりした。ただ絵やゲームを見せて反応を得るだけではなくて、自分がどんなことを考えたりしているかということも含んだ「総合的なメディア」としてホームページを雑誌のように編集・公開していくことが、自分にとっては制作だなって感じていた。

ホームページは、「今」を共有するソーシャルメディアでもないし、ログを残す書物でもない。ちょうどその中間のようだ。自分の部屋のような感覚がある。部屋にはたいてい、10年前に買ったものとか先月もらったものとか、今日だけ食べているものとかが共存している。自分もその部屋の中を眺めることによって、次はどんなことをしようかということを考えやすくなる。

良さ

僕がインターネットでやりたいのは、たとえばレモネード売りだ。アメリカの話によく出てくる、こどもの小遣い稼ぎ。道路に机を出して、レモネードを売る。別に売れなくていい。そこでついでに不要品を置いたり、絵を飾ったり、音楽を流したり。それで誰かが気に入ってくれて常連になったり、どこか別のところで絵を描いてくれと言われたり。そういう有機的な場を自前で好きなようにやっていたい。

ホームページはハイパーリンクを本質としていて、ハイパーリンクが可能にするウェブ的な構造というのは、考えるのも面倒だし、実装には手間がかかる。

ウェブと言うと蜘蛛の巣のことだが、実際のウェブは、枝の破片や獲物が至るところにくっついた、家具に満ちた蜘蛛の巣だ。ホームページは誰が作ってもだいたいアリの巣のように迷宮化する。そこが良い。人間性というのはリニアな文字列に置き換えにくい。分岐や行き止まりがあって、その迷宮をそのまま表現できることが、ホームページの一番の良さだと思えてきた。

悪さ

ただ、さっき書いたように、ホームページは煩わしいことが多い。自由度が高いので、設定できる項目も多い。それが悪く作用して、特定の端末やブラウザで表示が崩れたりもする。このことについては、もう、諦めないとホームページはやってられないだろう。僕もようやく、きれいさを気にせず、どんどん増やすという方針に気持ちが切り替わってきた。かつて一生懸命素材から組み立てたiモード用ページもiPhone用ページも、どれも結局不要になった。人が何千年も捨てなかった形式、テキストやjpgをひたすら増やしていくのが僕にとってベストだという気が、今はしている。

今後

自分のホームページは、改装を繰り返すたびにアーカイブが抜け落ちてしまって、ここ10年は名刺程度のものになってしまっていた。なぜかそのことに強めに反省の気持ちがあって、これからそれらを大事にしようと思っている。それはきっと、自分の周りにはそれを大事にできている人たちがいて、僕もそうなりたいと思っているからだろう。

(おわり)