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心身の強さ・ストレスについて

(自分が考えてることの紹介として書いています。特に何も引用せず、根拠なく書いています。) 1 自分は、自律神経の弱まりや崩れを気にして生活している。以前はただの疲れとか風邪だと思っていたけど、多い時は週に2回も寝込んだりしてて、徐々に気になってきた。だけどそれでも20代の間は、忙しかったし変な生活をしていて原因不明だったし、そこまで困る感じでもなかったので放置していた。 自分の場合、熱とか頭痛とかで寝込んだり、だるかったり、うまく眠れなかったり、色々ある。元々の体質もあるので、自律神経っぽいけどそうとは限らないという感じ。それでも週5の会社通いとかは、時々休んだり、(良くないと分かってたけど)頭痛薬や風邪薬で誤魔化しながらできてしまう程度だった。 2 そして30代の10年間でようやく「色々総合するとどうも自律神経が弱点っぽいし、いよいよ向き合わないと…」という気持ちになった。というのも、「自分なりにちょっとでも強くなりたいし、ちょっとだけでも強くするとその分すごい楽だ」という気持ちになれたからだ。 好きなように食べて好きなだけ眠って…を繰り返して、ストレスなく過ごすことに必死だったけど、そういうのも見直すことになった。大したことはできていなくて、わずかなことなんだけど。そのきっかけは、色んな人が自分に色んなお題を出してくれたからで、とても感謝している。 3 例えば、「水銀柱」で描いたような個展の提案をしてもらった時だ。自分のやりたい感じを考えていくと、どうしても心身の強さが不足していると感じた。ちょっと実験的だったり冒険的なことをすると、不安とかプレッシャー、必要な体力が増していく。睡眠や食欲が不調になって、そのまま進むと病気になるのは明らかで、休むことになる。他の人にとっては大したことじゃないかもしれないけど、そういうのに耐えて手を動かして段取りや完成判断をしていくような心身の強さが自分には全然足りてないと感じた。 今までやったことないことや、新しい人々が目にする制作を依頼されたりすると、そういう気持ちになることが多かった。だけど、結局は自分の心身はそんなに強くせず(そんなすぐに強くはできない)、関わる人に助けてもらいながらやってこれた。 4 しかし度々、心身の強さ不足を感じてきて、いよいよ真面目になんとかしないと、と思った。人間の平均が70点で、自分が今20点だったとしても、21点とか22点にしていきたい、という気持ちになった。70点になれないと分かっていて、20点から1点2点を積み上げていく気になれなかったのだけど、そういうことでもないよな、という感じ。 40歳にもなって、ようやくそういうことを思って、ほんのちょっと取り組んでいるというだけ。だけど、こういうことも書いておくといいかと思って、書いてる。具体的にやってることとかは、あまり根拠とか無いし、普段のしゃべりyoutubeとかで気楽にしゃべってます。 (以上、『プロジェクト発酵記』についての取材を受けて、その時に準備したものを元に書いたもの)

挑戦や負荷について

(自分が考えてることの紹介として書いています。特に何も引用せず、根拠なく書いています。) 1 それなりの人数の人が、「すごくなりたい、活躍したい」「もっと他人に認められたい」みたいな気持ちを持ってるし、表明している。それなりの人数の人がそういう雰囲気をエスカレートさせていって、「すごくないとダメ」「最速で最強に認められていくべき」みたいな空気を作っている。それは世の中のごく一部でしかないんだけど、ついうっかり、そういう空気に飲み込まれてしまう人もいるだろう。 競争や切磋琢磨であるなら、それは参加者が勝手にやればいいことだ。だけど、空気に飲み込まれてしまう人が無理して不健康になってしまったり、衣食住を崩してしまったりするようなことがあると、「その気持ちもわかる」と思う。 2 「すごい」とか「活躍してる」とか「お金たくさん」とか、これらをそれなりの人数の人が求めるのも理解できる。地位・お金・名誉みたいなものは、それを使って新たな何かをできるからだ。やりたいことや好きなこと、人の夢をかなえてあげたり、困ってる人の問題解決にも挑める。展開できる。また例えば、貧しい生まれなのに素早くこれらを手に入れて、不公平を乗り越える痛快さみたいな魅力を感じる人もいるだろう。 で、すごさや偉さやお金を求めて、興味のないことを頑張って挑戦している人もいる。すごさや偉さやお金が目的ならば、たとえ手段に愛着が無くても不思議ではない。与えられた環境の中で、自分の優位性を上げていきたいと考えるのはおかしなことではないし、馬鹿にされることでもないと思う。むしろ社会性を持てているからこその反応とも言える気がする。 自分はそういう人に比べると、衣食住がなんとかなっているだけで十分な幸せを感じる。いつからか自分は、水道でお湯を使うと毎回勝手に「ありがたすぎる」という思いが起こるぐらいだ。最低限の衣食住でも途切れることなく平和に暮らせるというのは、人類の歴史でずっと常に、なかなか誰でもできることではない。貴重なことだと感じる。だから基本的に自分は、衣食住がなんとかなっているだけで十分な幸せを感じる。 3 だけどその代わり、余計なこととして、自分で勝手に何かに挑戦していくのは好きだ。自分で勝手に落ち着いてやることによって、「自分はこれに一生懸命だから、別のことはできない」って感じで、周りの空気を無視できるし、何かに駆り立てられるのも防げている気がする。昔から学校の集団行動が苦手で、そういう方法を取る癖ができたのかもしれない。 「できないかもしれないけどやりたいこと」というのがたくさんあって、何かを選んで挑戦する。「挑戦の良し悪し」というのも自分の中で存在していて、「良い挑戦」ができると、成功しても失敗しても「挑戦できたんだ!」と自分は幸せな気分になれるし、収穫も多い。そしてその収穫は、さらにその後やっていくことや日々の生活の中での考え方やものの感じ方にも良い影響がある。その挑戦を経た自分になれる感じがある。だからいつも、できるだけ良い挑戦になるように気を付けている。 4 挑戦を良いものにするための準備方法が、自分の中でなんとなくある。重要なのは、まずは自分なりの健康や衣食住が確保されていることだ。この基盤の上でやることなんだから、この基盤の大きさや丈夫さを把握した上で、基盤に合った挑戦の計画する。そして、大きく失敗しても基盤である「平和な衣食住や自分なりの健康」を失わないように計画する。挑戦が危険な賭けになってしまうと、挑戦自体が怖くなるし、挑戦中も過剰な緊張や不安や委縮が起こって、のびのびした動きができなくなる。そうなると、成功しても失敗してもあまり収穫や学びが無い。 じゃあ、安全であればあるほどいいのかと言えば、自分の場合はそうは思わない。今までよりもたくさんの時間やお金がかかるから・プレッシャーがかかるから・見通しが立ちにくいから、だからこそ挑戦の価値がある、という場合が多い。なので、具合を調整して「ちょうどいい挑戦」にした上で、自分の生活や健康にとって危険だと思ったらすぐに中断できるような環境を整えておいたり、一撃でやられてしまうような危険が起こらないように見通しをある程度作っておく。 10歳の人が、今までは近所を自転車で移動していたとする。一人でいきなり外の都道府県に移動したり、1ヵ月の旅に出かけるのは危なすぎる。最初は電車やバスの使い方を誰かと一緒に覚えたり、友達の家に一泊だけさせてもらったりして、切符を無くしたり小さな失敗をしたりしながら難度を上げていかないと、取り返しのつかないことになる。難度の上げ方や時間制限が、負荷のかけ方だ。 5 最初の話に戻る。自分は好き勝手に、やらなくてもいいのに挑戦をするのが楽しい。だから、なんとなくやらされる挑戦とか、やらないと生きていけないような挑戦は、嫌いな場合が多い。 とはいえ現実問題として、例えば、子が親に厳しい挑戦を強いられることとか、抗ったり逃げたりしにくい状況はいくらでもある。大人でもそういうことは少なくないかも。 だから例えば『プロジェクト発酵記』では、「好きな楽しい挑戦は最高です、やらされる挑戦は苦しいですね」みたいな話にはならないようにしたつもりだった。でも表現方法は1つではないし、その伝わり方も相手によっていろいろなので、全体を見ながら色んな表現をしていくだろうなという感じがする。ついでに、その中で自分の考えも深まっていけばいいなと思う。 (以上、『プロジェクト発酵記』についての取材を受けて、その時に準備したものを元に書いたもの)

「無理をしない」の方針

(自分が考えてることの紹介として書いています。特に何も引用せず、根拠なく書いています。) 1 多くの日本の若い人にとっての現実の中には、無理せざるを得ない局面がある。人間関係や生活費の工面などに限らず、自己実現や夢に向かうこと、色んな分野でそういうことが起こる。 例えば実際の世界では、できるだけ若いうちに成果を出して、その成果を別の何かに再投資したり利用してさらなる次のキャリアを手に入れたりするような競争がある。この競争に参加したり、この競争の中で成果を上げることに価値を感じる人も…多い?自分の印象ではそうは思わないんだけど、多いという声も聞く。 とりあえず多い少ないは別として、そういう競争を、視野の狭い愚かな世界だと一蹴することは自分にはできない。現実には貧しさがあって、みじめさがあって、そこから逃げたいと感じる人が多い。所持金の少ない人間が掛け金を増やすには、どこかから持ってくるか、命を削って出す(無理をする)しかない。これだけ格差に関する用語(親ガチャとか)が生まれるぐらいだから、逆転可能性が低い社会なのかもしれない。負けが濃厚でコツコツやっても逆転できないゲームに参加させられたら、早めにリスクの高い勝負をするのは自然なふるまいだ。 2 例えば、80年の人生を、裕福な人とそうでない人がそれぞれ同じように努力して生きていったとする。格差が固定されて拡大しているような社会では、ただ生きていくだけでも貧乏な方は病気やケガのリスクが平均的に高いだろう。悲しいことがあった時に自分を癒す時間や選択肢も少ない傾向があると思う。そういう感じで、早期に大きな無理をしてでも、一発逆転に賭けるという選択が魅力的に見える要因が色々ある。 そういう雰囲気が強いほど、社会設計が失敗していると自分は思う。20歳、30歳、40歳、50歳、まだまだ寿命までにたくさんの時間がある人たちが大きな賭けをして負けて人生に絶望してしまうと、色々大変だ。つらいと思って生きる人が多いこと自体良くないし、社会の負担も大きくなるだろうし、暗く殺伐とした雰囲気にもなる。 社会がもし、人々に競争や勝負をけしかけていきたいなら、大負けした時のフォローとセットでないとうまく機能しにくいと思う。しかし、色んな時代や色んな地域を見れば、残念だけどそこをうまくやれない社会も一般的なんじゃないかと思う。 3 だから自分は「無理をしない」という心で自分を守っていかないといけないな、と思っている。 自分を大事にして、取り返しのつかないダメージを負ってしまうような勝負は避ける。何かをやっていてダメージやリスクが積もってきたら、早めに逃げる。 誰に対しても無理して愛想よくしない。面倒くさいことは面倒くさいと正直に言い、やりたくないことはやりたくないと素直にいい、毒性の高いものを遠ざけ、迷ったら常に自分を甘やかす方向にパワーを使う。 そうすれば暇も余裕も生まれる。町がもっと良くなってほしいなとか、困ってる人の役に立つこともしたいなとか、そういう気持ちを実際行動に移しやすい気もする。 4 「そんなことをしていたら生きていけない。素早く何でもやらないと、仕事をクビになって生活に困る。」という意見もあるかもしれない。 人によって状況が色々だと思うので、そういう意見も正しい場合もあるだろう。あるいは、情報や知識でカバーできないだろうか。色んな社会制度や福祉の利用を相談したり、良い職場をしっかり探すとか。「無理をしない」をやっていくには、ある種の賢さや強さが必要かもしれないし、それほどじゃないかもしれない。 色んな人が「無理をしない」ために、どういうものが必要になってくるのかは、自分はまだ分からないことも多い。だけど、例えばここ最近の日本の場合、今より多くの人が社会問題に目を向けたりするためには、まずもっとそれぞれの生活に余裕が無いと難しいと思う(そういう人ばかりじゃないけど、そういう人は多そう、という話)。 まずは余裕を作って、眠ったり遊んだりして、それぞれの人が好きに過ごして、そのだいぶ先で、もっと自分の人生に愛着が持てたらいいなと勝手に思っている。人生に愛着が持てていれば、傾向として、社会環境も損なわないようにしたがるんじゃないかと想像している。悠長な話かもしれないけど、それぐらい遠いと思う。 自分の場合は、以前は多少無理をしていた自覚がある。無理をしていて、それによって得たものもあったけど、絶対にどこかでやめたほうがいいと思っていた。そういう人はある程度いると思うので、同じような感じの人に向けて、こういうことを書いているところがある。 (以上、『プロジェクト発酵記』についての取材を受けて、その時に準備したものを元に書いたもの)

シェーダー感の強い絵

絵を学べば誰でもすぐに気づくようなことなのかもしれないけど、描いていてとにかく、光と影を拾ったり捨てたりする作業なんだなと実感する。 シェーダーというのは、3DCGソフトの描画で影を付ける(シェーディング)プログラムで、設定したライトの位置や強度、オブジェクトの素材を計算して画像にする。屈折や反射や霧を計算するのは、時間がかかる。 柱Aの影が直角交差した柱Bに落ちると、凸型に影が生まれる。現実で起こるのと同じような光学的出来事が絵に描かれていると、真実味が上がる。 ハッタリが効いている絵というのは、まことしやかなウソみたいな感じか。現実にはいない怪物を、いかにも「見えたらこうだろうな」と納得させる感じ。そういうものを描くには、9つの本物の中に1つのまがい物を置くような手法があると思う。現実的に見える光学的出来事が絵の中に充満しているっていうか。 その物質やその空間・その座標の特性は色々ある。レントゲン写真やサーモグラフィ、気圧配置図なんかは、可視光でないものを可視光で表現する。絵もそういうことはやる。漫画なんかはベクトルや音も線などとして光学的に描く。その時にも、ハッタリがいい感じがどうか、気になる。 2015年ぐらいに、グミとかのど飴の絵を結構描いた。どこまでも写実的に描くんじゃなくて、自分の絵である範囲で、というのが自分にとってのなんとなくの課題だった。現実らしいウソであることが大事で、デフォルメがやりたい。 そういうことについて言えば、この2人?の影響が強い。 Brothers Hildebrandt指輪物語とかスターウォーズとかの絵を描いてるらしい。メイキングを見てる感じ、描く前にポーズ写真を撮ったりしていて、特殊な光源の確認や衣装の感じとかを絵に生かしてる感じがする。 Jordan Speerどうやって描いてるんやろな。頭の中に粘土細工のスタジオと50人の妖精がいるんじゃないかと思う。最近mtgに描いた絵は、現像感が良すぎて、14日間寝込んでしまった。 自分の思うシェーダー感を色々試してみたい。

移住して6年経った

(あまり内容に関係ない前置き)誰もがその人の人生をそれぞれやってるんだなと、当たり前のことについて改めて思うってことが、以前より多くなった。「人生はバトルなんかじゃないと常に思って生きていたいが、バトルにならざるを得ない状況もたくさんある」ということについても。 ・経緯2013年に、生まれて初めて乗った飛行機でドイツのベルリンに1か月滞在して、それから1~3か月の滞在を数回した(シェンゲンビザで)。2018年、住民になって、これを書いている時点で6年2か月経過した。フリーランス・芸術家のカテゴリで何回か滞在許可を更新した。大変色んな人のお世話になってしまった。いつも、自分のように勝手で雑な人間に助けをくれたことを数えている。 ・雑感2018年までと違って、住民になってからは毎日やることが多かった。今までの人生が暇だっただけかも。母親にも父親にも、6年間でそれぞれ1度ぐらいしか連絡できていない気がする。ほとんどの日は8時間寝ているので「そういう忙しさ」じゃないけど、逆に言えば、万全じゃないと乗り越えにくい日々が続いてる感じがある。これも、単に今まで自分がそういう状態になったことが無かっただけで、あんまり移住とは無関係かもしれない。でも、たぶん純粋な移住というのはあんまり無くて、どんな人でもその人の持つ固有のテーマと連動して移住が動いていくと感じる。自分の場合は挑戦や加齢などがテーマとしてあったような気がする(後述)。 ・学校と漫画移住して9か月ぐらい語学学校に通った。お金が無い状態で移住してしまったので、すごく安いところに週5で通った。働きながら通学してる人が多くて、健康第一を呼びかけあっていた。「忙しくて宿題ができないことは分かる」とか「軽食をとりながら授業を受けても大丈夫だ」とか、あえて先生がみんなに言ってくれたのが印象に残っている。自主制作の漫画をやっていく予定だったが、声をかけてもらって「ベルリンうわの空」の連載が始まった。「うわの空」は最初、アプリ内の小さな連載(ページ数も少なかった)だったけど、予想外に展開して、移住生活だけでなく人生の計画をずいぶん変えた。 ・パンデミックと侵攻学校が終わって半年後の2020年の3月初め、用事でポーランドに行った帰りの電車の中で、トイレットペーパーの買い貯めの人を見かけた。ロックダウンがあったり、ひどいことも多かった。その2年後にはウクライナ侵攻が始まって、距離が近いので核兵器対策の話も多く見聞きした。特にパンデミックは、語学学校が終わった状態でなかったら、なるべく早いタイミングで帰国していたと思う。パンデミックや、世界中で続く滅茶苦茶な武力行使も、引き続き色んな状況を派生させている。これら2つももちろん、移住生活だけでなく人生の計画をずいぶん変えている。 ・挑戦や加齢移住の目的は色々あったけど、とにかく挑戦してみて、滞在許可が下りなかったりお金が無くなったり体調がダメになったら、中断しようと思っていた。大したことじゃなくても、自分で挑戦だと思えることをできたのが良かった。色んな人の助けやインターネットが無かったら、何か他の挑戦をしていたと思う。体が元気なうちに、という気持ちもあった。実際、30代が終わって、色々だいぶ変わった。初めて来た2013年に31歳だったのが、今42歳だ。 ・この6年間この6年間は、本当に目まぐるしく色々あった。こうやってまとまった文章を書いて一区切りつけておきたい程度には、色々あった。特にパンデミックと侵攻も重なったことで、色んな思いや考えが改まったり、明確になった。大人たちがこれだけいて、こういう状況をこういう風に作っていくんだな、という感じ。物理法則や自然・動物という大前提があって、こんな人類やこんな文明がある。この人類やこの文明が前提にあって、こんな自分が生活している。そういうことについて自分なりに考えて、見たり読んだりしてくれる人に向けて作るのが、引き続き自分がこの人類やこの文明と関わるメインの部分になる感じかと思う。

ソーシャルメディア運用方針

ツイッターとかインスタグラムとか、おしらせをマルチポストするために使っています。2024年現在、ツイッター、インスタグラム、ブルースカイ、スレッズに同じ内容をマルチポストしています。どこを見ても同じです。好きに見て楽しんでください。 各サービスでのメッセージは、スパムや怪しいのが多い(かなり多い)ので見れないことが多いです。連絡したい人はホームページの案内を見てください。 基本的にはホームページが自分の情報発信の場所で、その他の場所は全て、見る人の便利のためのおしらせ場所という感じです。 fediverseアカウント(ActivityPub系)からは、ホームページ自体をアカウントとみなしてリモートフォローすることができます。”@kayamatetsu1”で検索してみてください。

「レタイトナイト」について

2018~2021年に描いていた「ベルリンうわの空」のシリーズのあと、どうしても試してみたくて「プロジェクト発酵記」というのを2022年に連載させてもらった。 「発酵記」は、さらに次の連載「レタイトナイト」の準備をレポートしていくような内容で、連載前にメイキングを見せていく感じ。自分なりの真剣さを事前に示したかったのもある。 で、その「レタイトナイト」には、自分にとって2つの大きな側面がある。 まず1つ目は、直近で描いていた「心のクウェート」「ベルリンうわの空」の方法から、変化させること。「心ク」「うわの空」では、実際の経験をベースにした現実が舞台の漫画の中で、自分の考えを比較的直接的に書いてる。この方法のおかげで、似た考え方や感性の近い人に漫画を見つけてもらいやすくなった。「見つけてもらう」というのは本当に大変なことで、もちろん広めてくれたりした人やお店や媒体のおかげでもある。それはそれでいいとして、「レタイトナイト」では少し変えている。 「レタイトナイト」では「すこし遠くにも届く」という部分を焦点にしている。文明・世界・社会・人生についての自分の考えが描かれるからこそ、現実から距離のある表現を使うことで、「必ずしも意気投合するとは限らない相手」にも余白をもって届けられたらいいなと思う。その変化はきっと「うわの空」を楽しんでくれた人こそ喜んでくれるような気もしている。 2つ目はほとんど誰にも関係ないことだが、「レタイトナイト」は、自分が20歳の時に描いていた「この世の果てのアリス」のやり直しになっている。「アリス」は2001年に上下巻、合計150ページぐらいの自主制作漫画で、たぶん100~200冊ずつしか刷ってないと思う。 物語の時代や風合いは「レタイトナイト」と同じ。農作物を荒らす獣がいて、魔除けによって獣が進化してしまうという話が主体になっている。農薬耐性遺伝子みたいな話なんだろうか。とにかくそこで、言葉をしゃべる獣とか拝火教・製鉄のようなものが出てきて、主人公は進学をやめて、世界の端がどうなっているのかに疑問を抱いて旅をする、というものだった。これを改めて考えつつ、当時やりたかった芯を思い出して補強したのが「レタイトナイト」だ。 この2つの側面は要するに、大げさに言えば「最新の自分」と「最初の自分」かもしれない。それを合わせてみて、どんどん描いてみよう!という感じ。 「レタイトナイト」は、「ベルリンうわの空」「プロジェクト発酵記」とは違う媒体「路草」で連載開始した。これは単純に担当の井上さんがここに移ったからだ。井上さんだけでなく、一緒に作っているゴボリくん、あぞさん、IDeeezのメンバーも一緒で、とても安心して作業できている。 自分にとって、こんなに毎日漫画を描いて、それを読んでもらえて、本になるということは、普通のことではない。こんな状態は自分の力で手に入れたものでもないし、いつ終わってもおかしくない。届いてほしい相手にしっかり届けるために、後悔無いようにやっていこうと思っています。

奨学金返済完了

2020年の秋に、奨学金の返済が終わった。2005年から、15年かかった。無利子だったのもあって、途中で待ってもらう手続きとかもしてたかもしれない。 修士に1年行っているので、そこで一気に増額している。月々2万いくら返していたような感じで、全部で300万円ぐらいか。自分は匿名じゃないので、ちょっと曖昧な感じだと思ってください。 自分の力・時代・国・家では、無利子奨学金が無ければ進学は難しかった。それはそれとして、返済が終わった時の、何も感じない感じ、比類なき何も感じなさ、これは格別だった。 それもそのはず、というか、15年の間には色々な時期がある。進学に挑戦できたことや挫折できたことに強く感謝する時期もあれば、返済がまあまあ重荷になる時期も長かったし、それらを総合したところで、ドリンクバーの飲み物を全部混ぜたものを口にしたような、コメントしづらさがある。死ぬ時にもそんな感じになってしまうのだろうか。あまり長いものを1回でまとめようとしないほうがいいかもしれない。 だとしたら走馬灯というのは、ある程度長さが必要で、セクションで分かれていたほうがよい。エレクトリカルパレードみたいな構成がよい。途中で悪役ばっかり出てくるシーンでは、メインテーマを短調にアレンジしたものを流すのがよい。 大学や学費について、思うことは色々ある。でもとにかく自分は、お金が足りてる時は、いい感じに使えたらいいなと思っている。世の中は強烈に不公平なので、そのことを自分は肯定的に思ってないんだと自覚できる程度には、そういう使い道をしたい。

ホームページ25年

自分は、1998年7月3日にホームページを開設した。だから2023年の7月で25周年。この四半世紀で、世の中も自分も、何もかも変わった。 多くの人が個人サイトを作らなくなった。流行というのはそういうもので、ブログ、SNS、それ以降…という風に、大半の人は通過するだけだ。 エリマキトカゲでも、ハリーポッターでも、ナタデココでも、大半の人にとって流行は刹那的なものに過ぎない。だけど、その出会いが「一生もの」になる人が中には一定数いる。自分にとっては、パソコンの普及や個人ホームページの流行がそれだった。自力で出会えなかったかもしれない自分は、流行という仕組みに感謝している。 流行は完全ランダムに起こるものじゃない。インフルエンザとかでもそうで、環境側のジャックポット的な蓄積が前提となっていて、それが雪崩まで発展したものが流行なのだと感じる。たとえば、核家族化が進み、和菓子離れ久しく、コンビニが増え、低カロリーが好まれ、貿易収支がこうで…みたいな条件が整いまくった環境にナタデココが突き刺さる。流行が「作れるし、作れない」というのはそういうことだと納得できるかもしれない。 自分の場合、ホームページ以前にも、ファミコンやビックリマンシールの流行が直撃して、人生が変わっている。要するに、この時代全体が、たとえばメディア部門の技術革新・価格低下という継続的流行の中にあって、その一部分や派生としてゲームや食玩やホームページの隆盛がある。他にも世の中に大きな流れがいくつかある中で、単にたまたま自分はこれに素直に飲み込まれたに過ぎない。 だから今となっては、以前ほどにはホームページへの特別な思いを表現しなくなった。ところが逆に自分の中では、ますます大事で、強力な火種となっている気がする。それもまた、自分の人生に起こったことを素直に受け取れている気がするので、いいんじゃないかなという感じがする。

生活の感想2024

zineday osakaに合わせて作った冊子の内容の日本語。表紙、1~6ページ目、裏表紙、の順番で記載してます。 表紙「普段、毎日、漫画を描いてる。今年は絵の仕事もまあまあやった。最近、友達がボードゲームを作るので、その絵やストーリーを考えてる。その友達は今までに何個もゲームを作っているけど、今回かなり時間をかけて考えているらしい。」 1ページ目「calfortという名前の固形スープがあって、よく買ってる。種類がいくつかあって、安い。包装がいい。ままごとで使うミニチュアみたいなデザイン。このスープを使ってると自分は少し気分が良くなる。花を飾る時とかも、自分にとっては劇的に気分が良くなるというより、うっすら気分が良くなる感じがする。」「ボードゲームの絵は、カードの絵をたくさん描くことになる。何十種類もある。珍しいことに、今回のカードにはキャラクターが主体なるカードが無いと伝えられた。魔法の効果みたいなカードだという。そういう制限があると、とてもいい作業になる。キャラクター無しで、魅力的なものを作れるだろうか。」 2ページ目「この1年間、病院によく行った。お金もかかったけど、今では元気。健康のために時間を使っている間、制作が進まない。そのことについて焦らなくなったので、良い変化だと思う。医療通訳にも数回お世話になった。とても助かった。」「何年かぶりに、滞在許可の更新をしないといけない。外国人局のオンラインシステムは1年以上調子が悪くて、まともに機能していない。それに乗じた詐欺もあるって。特別な手続きをした。不満はあるけど、インターネットの無い時代なら、もっと疲れていただろう。」 3ページ目「5月に自分の漫画の本が出版された。新連載の1冊目。自分は今42歳で、そろそろ集大成のようなものを作ってみたい。自分の作る力に満足してから作り始めるのでは遅い気がする。そういうものを一生に何回作れるか分からない。この連載も、何歳まで続くだろうか。自分が55歳になる頃には、西暦2037年だ。その頃地球は…。」「ボードゲームも本も、何十年も残ると言われているが、意外と残らない。ほとんどの物は消えていく。だからといって、ほとんどの物が等しくダメだということではない。それらの中にも良し悪しがある。」 4ページ目「Chivalry 2というゲームを買って、だらだら遊んでいた。プレイ時間が100時間を超えた。中世の戦争を、オンラインで32人vs32人で対戦したりする。略奪とか攻城戦。遺跡の破壊。刑務所の襲撃。色んな目標があって、野蛮な感じが最大の特徴になっている。マップが好きで、観戦も面白い。トレバシェットという兵器が登場し、知らないので何なのか調べた。wikipediaには、この投石器についての説明が一通りあって、最後に「中世以降ほとんど使われていないが、2024年6月にイスラエルが使った」とCNNの報道を引用していた。色んなことを思った。」 5ページ目「近所のスーパーに行った。せまい出入り口に掲示板があって、誰でも好きな貼り紙をしていい。アパートを探す人、不要家電を売りたい人、など。「こどもラジオをやってるから参加して!」という紙が貼ってあって、見てみたらよかった。みなさんの住んでいる地域のラジオのおすすめとかも、ぜひ知りたいです。教えてください。」「汽車土瓶という言葉を知らなかった。友達に教えてもらった。僕がこどものころ、新幹線で、他では見かけない水筒入りのお茶が売ってた。今はそれは無い。汽車土瓶はそれより前の時代の車内販売のお茶だ。陶器はいい。欲しい。他の国にもあるなら見てみたい。教えてください。」 6ページ目「一瞬、1ユーロが175円まで上がった。この6年間、35%値上がりしてる。もちろん物価も上がっている。自分はとにかく柔軟でいたい。」「ペストとかの歴史を見ると、何回も流行したり、何十年も続いたり、色々ある。covid-19の流行が始まって、3年とか5年は様子を見ておこうと思っていた。そして5年が経った。特別なことが無くても、平和な日々は楽しい。じっくり絵を描いて過ごしていたい。」 裏表紙「散歩中によく会うおばあさんに、犬の糞を踏まないように気をつけろと言われた。ベルリンにはたくさん落ちている。capri-sunというジュースの袋もよく落ちている。yumyumというラーメンのスープの小さい袋も落ちている。乾燥した麺をそのまま砕いて食べるから、スープはゴミになる。」