20210706

「完成させるためのゲーム作り教室」発表会について

ゆにここカルチャースクールで全6回の「完成させるためのゲーム作り教室」というのをやりました。アーカイブも利用可能です。この教室の6回目は、1〜5回目のどれか1回以上参加したことある人なら誰でも無料参加できる作品発表会です。2021年7月17日予定です。

ゲーム教室の中では、いつも大体3パートに分けて、プログラム以外にもゲーム文化周辺についてのことや、制作ということについてや、生きていく中での色々なことを話しました。また、映像での講義以外にも、課題をやってもらったり、discordを用意してもらったり、紹介したゲームを見てもらったり、すこしは有機的になるようにしました。

「やったことないことをやってみる」とか「興味があるから取り組んでみる」とか「粗末でいいから自分で作ってみたい」というのは、人間がジェネラルであろうとする心や、逆にジェネラルではあるまいという心に関係があると思う。つまり、生きて色々な動きをしていく中で自分に関係すること全てについて、すこしでいいから理解していたいという気持ちや、「これ以上は大変だから今はいいや」というような気持ち。自動車の修理を自分でやらないドライバーでも、車軸や駆動の仕組みをすこしでも分かっていれば、それなりに自動車の使い方が変わってきたり、もし悪い修理工にだまされそうになってもだまされない確率が上がる。それが必要か必要でないかという話ではなくて、「できるだけそういう自分でいたほうが生き心地が良いのではないか」と考えるかどうか、ということ。

そういう気持ちは、金を多く持っているかどうかや、学びという行為が得意であるかどうか、みたいなことを気にせず持っていたらいいと思うし、できるだけどんな人のそういう気持ちも丁重に扱いたいと思い、自分にできることしかできないけど工夫しようと心がけた。ゆにここカルチャースクールもそういう精神を持っていると僕は思っている。書かれているポリシーもそうだし、チケットを誰かのためにおごっておくシステムなどもある。

人間は、かなりたくさんの色んな人がいて、色々であることを保つことでお互いに良かったと思えることが多い。そう思わない人もいるだろうけど。で、発表会をやるとか、発表会に参加するとか、見るだけとか、見に来ないとか、それぞれ好きなようにすればいいんだけど、発表会をやる。これが大事で、発表会をもしやらないと、そもそも見に来る人とか見に来ない人というバリエーションも生まれない。発表会をやって、ちょっと頑張ってみようという人が何人かいて、作れてよかったという気持ちを表現することで、忙しかったりして今回は見に来れなかった人も「自分も余裕ができたときにやろうかな」とかっていう気持ちが生まれる。逆に、見に来る余裕がない人からも影響がある。来れない人がいても、いつかその人に余裕が出たときのために、ハッシュタグをつけてソースコードを置いておいてあげたいって思ったり、その時に読みやすいように少しでもきれいなコードで書いておこうとか、ヒントを書いておこうとか。そうやって「ついでにクラスメイトのためにもなるから」と思ったことが、その人の学習に弾みをつけたり、いきいきさせたりする。

どんなに自分のためにやったことでも、発表したり表明したり表現したりすると、誰かにいろんな影響を与える。商売マーケットでは感動とか泣けるとか稼げるとかっていう影響しか影響と認めないかもしれないけど、人生に作用する影響というのは色んな種類がある。すれ違う人の服の色とか、海が大きいとか、そういうことからも刺激を受けて、何らかの気持ちが起こって、人生のハンドルが1ミリ動いたりする。

同じ習い事をした人同士というのは、とても影響が大きい。共通の体験をした別々の人間だから、参考になったり「ああ、人それぞれだけど、こういう人もいるし、自分は自分でこうだし、なるほど」みたいなことをぼんやり思う。自分と比べたり競争する相手ではなく、人間的な環境という感じ。教室という環境で、発表ということをやったり見たり見なかったりする。「どれだけのことができたか」とか「どれだけ多くが学べたか」みたいな単純な定規で人間同士を比較するんじゃなくて、誰にでも状況と立場があって、それぞれに自分をやっていて、それが相互にいい影響を与えられるんだという気持ちで自分をふるまえる、というふうに考えればいいんじゃないかなと思う。

僕は高校生の時、勉強が得意じゃない人が宿題をコピーさせてほしいとか、ノートを見せてほしいとか言ってもらえるのが、かなり歓迎だった。その世界にも頼み方がうまい人というのがいて、字やノートの様子を「ここが良かった」と言ってくれたりして、それが自分では意識してないところだったりした。勉強が得意じゃない人の視点というのは、勉強ができる人に不足しているもので、そういう交換を雑にばしばしやっていくことは嬉しさに満ちている。そして、例えばここでいう勉強が得意な人と得意じゃない人っていう立場とかも、固定している役割じゃない。舞踏会のように人が流動したり、その場でブルブル動いたりしていて、するっと立場が入れ替わったり、じっとしている人でもあるとき数歩動いたり、動き回っていた人がぱったり動かなくなったり、する。僕は大学に進学したあとは、宿題がうまくできないほうになったから、すぐに高校の時の経験が役立った。役立ちゃいいってもんでもないけど。

とにかく発表会があるので、今まで参加してくださった人はそれぞれ自分として参加したりしなかったり、好きにしてください。また、ハッシュタグ「#完成ゲーム」というのを作っているので、みんな見たり使ったりしてみてください。