20210303

人生は賭け事ではないけど、張る・張らない、ベットする・しない、というのは、努力やセンスよりも重要に思える(*)。お調子よく軽はずみで「はい!主役やりたいです!」「今年中に作ります!」というような。はずみがドライブして「やんなきゃ」という後払いが発生する。はずみが自分を、やんなきゃ的状況へ放り込む。時にそこでは、手持ち以上の力が必要で、ごまかしたり手伝ってもらったりしなければ成就できない。だからはずみがつく時に、「これはいくらなんでも無理かも」とか「ええい、これぐらいなら」とか考えながら放り込まれるようになってくる。成就のない軽はずみは「へたな無鉄砲」で、無鉄砲はうまくないとつらい。同時に、「やんなきゃ」が、「やるからには楽しくやんなきゃ」とかになっていく。はずみはお調子であるから、陽気さや好奇心、欲の強さなどが本人のコントロールからわずかに離れた時などに、本人をやんなきゃに放り込む。はずみがちょうどよくドライブするには、「ほどほどの半径で円を描く独楽回し」みたいな技術がいる。結局はそれも、「いかに事故が起こりやすい場所にいるか」「いかに豪快な魂や胆を持っているか」みたいな話になるので、頑張ってどうにかなるものではないかもしれないけど。

(*)努力もセンスも、なんか色々やってると結局、「家に自分の勉強机があった」「電車乗れば都市がある環境で育った」「博物館に通う友達がいた」みたいなものの影響が大きすぎて、「ただ自分なりに、サボらず無理せず」しか頑張れる範囲とかセンスが発揮される幅って許されてないんじゃないかと思う。

「低い孤高」のために、そういうことを考えていた。

長らく品切れとなっていた本「すこし低い孤高」が、横書きに生まれ変わって増刷されました。(>リンク
「心のクウェート」も3刷が完成しました。(>リンク