(まだ途中)
まず前提として、人間の人生は、本人の意志で始まるわけではない。僕は基本的な考えとして常に、「自分が人間として、この宇宙のこの地点で、この時代に生まれた」ということを、アクシデントとして捉えている。それはネガティブなことではないし、肉親を恨んでいるとかも一切ない。ただ、生命や人間が無条件に美しいものであるとか喜ばしいものであるとか、そういう考えから距離を取りたいと思っている。現象や偶然。
炭素骨格、有機物、細胞、動物、人間、道具、農耕、定住、国家。これらは宇宙の中で偶然生まれる無限のパターンの中の1つで、だけどある程度必然性がある。数万年単位で気候や地殻が不安定性や安定性を供給しなければ人間まで進化が進むことは難しくて、国家を作って定住することは自然界に人間に近い動物が生まれた時点で、かなり起こりやすいことだったはずだ。
人類が生まれて、所有や財、法や税や刑などの概念が一通り揃い、だけど差別や人権問題が残っている、原子力でお湯を沸かす、そんな20世紀末に偶然自分が生まれた。このことは自分のせいではない。そして、21世紀や北半球という地域に特別大きな愛着は感じない。そこに愛着がなくても楽しく生きられているのもまた、自分の偶然だ。
そして、自分は自分以外にはなれない、とい現実がある。肉体や飲食を無視して、空想の中だけに自分を置く人生というのは難しい。上下水道や治安維持やごみ収集に健康を守られ、軍や外交に権力の均衡を任せていて、それによって生活が成り立っている。
どんなに空想や仮想や設定の中に生きる自分の比重を増やしても、どこかから金を得てきたり、家賃や光熱費を払ったり、飲食したり眠ったりする必要がある。これにはかなりの時間を取られる。この部分を完全に「意味のない時間として感情を殺して過ごす」ことも可能かもしれないけど、僕にはできない。つらい仕事に耐えられないし、毎日同じものを食べるのも飽きる。生きていく以上、これらの時間を、納得して暮らしていきたい。基本的にはそのために、政治に関わっている。
税率、労基法、建築法や都市計画の方針、営業許可や保健に関するルール、教育内容、生活の全ては政治的決定の影響を受ける。今の国家では、政治的決定のクオリティが生活のクオリティのかなりの部分を決める。家賃補助があれば1つグレードの高い住環境で、安眠の概念が変わるかもしれない。関税が安ければ気軽に食べられる果物の数が変わるかもしれない。それらによって自分のできることが増えたり、仕上がりの豊かさが変わるかもしれない。だから政治的決定のクオリティを高めたり、悪化するのを防ぐために一定量の貢献をしようとしている。悪化を防ぎたいという気持ちは、自分の場合特に強い。
政治的決定のためには、必要なことを知って、考える。だから、ある政治的決定がまともであるか腐っているかを判断したり応援したり拒否したりするためには、その過程を把握する必要がある。政治を代理する人たちと同じ水準で知ったり考えたりする必要はなくて、要点や道理を押さえれば十分だと思っている。